インテリア

ニューヨークの家、インテリアと思い出

20代の約3年間をすごした、ニューヨークの家。

マンハッタンのグランドセントラル駅から列車で北に40分。高層ビルは姿を消し、空もハドソン川もどんどん広くなる。緑も増えて、時おり野生の鹿が顔を見せる。アップステート・ニューヨークと呼ばれるこの郊外が、わたしは刺激的なマンハッタンよりも、ずっとずっと好きだった。

わたしの家があったのはアップステートの入り口で、マンハッタンに通勤する人のベッドタウン。この写真よりもう少し都会寄りで、アメリカにしては狭いアパートの3階だった。それでも2ベッドルーム、お風呂は2つ。東京の賃貸よりずっと広い。



当時インテリアのことは何も知らなかった。
まず戸惑ったのはシーリングライトがないこと。部屋の必要なところだけ明るくする「一室多灯」式のアメリカ。「一室一灯」が主流の日本とは、照明の考え方が根本から違った。
ウォルマートに行って、フロアランプやテーブルランプをたくさん買ってきた。

駐在だったので、大きな家具は前任者から引き継いだ。そんな中で唯一、west elmのダイニングテーブルだけは自分たちで選んで購入した。

ある年の誕生日には、夫にもらった真っ赤なバラを飾った。猫のティータオルは、ブルックリンの古着屋でみつけたFishs Eddyのもの。

ライターの仕事をやっていた時期には、このテーブルが仕事場だった。BOSEのスピーカーで好きな音楽を流して、ビスケットをつまみながらPCとにらめっこしていた。

音楽を聴く手段はといえば、だんだんアナログにシフトしていった。
レコードを聴くようになって、ターンテーブルをリビングに迎えた。

夜にふんわりとあかりを灯して、レコードに針を落とす時間が好きだった。たぶんテレビを観ていた時間よりも、レコードを聴いていた時間のほうがずっと長かったと思う。

ある年の冬、よく通っていたレコード屋で、地元のクリエイターが作品を販売するイベントがあった。そこで、工場と黒猫を描いたこの絵が気に入って購入した。

漆喰の壁には穴を開けてはいけない決まりだったので、はがせる粘着テープとフックを使って壁にモノを掛けていた。でもときどきテープが剥がれて落下するのが嫌で、このアートは地面に置いていた。

ヒーターのまわりも、「床置き」のものが集まる場。

ラタンの鏡はスーパーマーケットのTargetで、たしか$50ぐらいだった。
アメリカではお洒落な家具や小物を買うのに、日本ほどお金がかからない。

クッションも、ちょっとしたアートも、間接照明も、大きなフェイクの観葉植物も、どれも$50もしなかった。ファッションやビューティーと同じくらい、インテリアも価格帯・デザインともに選択肢がいろいろ選べるのが良かった。思えば、これがインテリアの世界へのハードルを下げてくれていたんだ。

こんなふうに、好きなものを寄せ集めただけの部屋だったけど、次第にインテリアのことをちゃんと学びたいと思うようになった。気が付けば、インスタではインテリアデザイナーばかりフォローしていたし、週末にはアンティーク家具店を巡るのが恒例行事になっていた。

渡米して3年目にはパーソンズで建築・インテリア史のクラスを受講して、帰国した今もスクールに通って勉強している。今は東京の狭くて古い賃貸に住んでいるけど、富山のもう少し広い家に引っ越したらまたコーディネートを楽しめたらいいな。